歳の重ね方は選べる(幸せな老婆と、不幸せな老婆)

心と身体を元気にする

こんにちは

あなたのままでいいんだよ。あなたのママでよかったよ。こと、あなままです。

今日もあなままブログをお読みいただきありがとうございます。

人生における絶対

この世に生きている上で『絶対』という言葉に当てはまるのは二つだけ

一つは老いるということ。もう一つは死ぬということ。

誰でも必ず歳をとります。そして、いずれ死を迎えます。これはどうやったって争うことのできない『絶対』

ならばせめて、どんな歳の重ね方をするのか。自分で選べないのでしょうか。

素敵な歳の重ね方

先日、ご近所の年配の女性お二人とお話しする機会がありました。

お二人とも88歳。お二人とも病気をかかえ、足が弱く、あちこち痛いと言ってシルバーカーを押してらっしゃいます。

お二人が違うのは、お一人はご主人もご健在。病院に行くのも連れ添って、お近くに娘さん夫婦がいて事業をされています。介護度は介護1。大変そうだけどどこか幸せそうに見える老婦人。

お一人は、28歳の時にご主人を亡くし、女手一つで息子さんを育て上げ、小さいながら自分で家も立てました。孫も成長しやっと楽ができるという矢先に息子さんが病気で亡くなり、お金の心配。体の心配。孤独。介護申請をしても却下されやっと出た認定は支援1。わたしがみていても、援助してもらえる人もおらず、体力も体の機能も、もう一人の人より大変そうなのに、介護保険もなかなか受けられない。いつも、『生きているのがつらい』とおっしゃいます。

お二人の何が違って、こんなに生活が変わって閉まっているのでしょう。

運?と言ってしまえばそれまでなのですが、二人がそれぞれその運を選んでいるように感じます。

お二人の大きな違い。それは

二人の違いは、笑顔と感謝

お一人目は、いつも笑顔。家に来てくれる保健師さんのことも悪く言っているのは聞いたことがありません。家族がリハビリに連れて行ってくれることを『ありがたーなー』と言います。近所の人と、シルバーカーに座って笑顔でおしゃべりしている姿を良く見かけます。

お二人目は、いつも眉間に皺を寄せ、懇意にしてくれる看護師さんにも『あんたら若いけん、私の痛みはわからん。』と言い放ちます。『高い介護保険を払ってるのにちっとも助けてくれん、』と言いながら『自分のことは自分でせんといけん、自分のことが自分でできなくなるほど辛いことはない』と言います。

一人で誰にも頼らず頑張ってこられたから、お気持ち察します。でももし、彼女が自分のことできなくなったことを素直に認め、声をかけてくれる人、手を差し伸べてくれる人に『ありがとう』と笑顔で言ってくれたら。何かが変わるような気がします。

亡くなった息子さんのお嫁さんは、今も遠方から毎週電話をしてくれているのです。手を差し伸べようとしてくれている人はいる。そのお嫁さんにも『歳を取らんとこの辛さは分からん。』と言われます。これではお嫁さんも辛いですよね。

お嫁さんもご主人をはやく亡くされてつらく淋しい気持ちを抱えていて、その気持ちが1番理解してあげられるのは、この女性なのに。

もし『ありがとう』と言えたらお嫁さんも救われます。

どんな歳の重ね方をするのかは自分で選べる

二人とも『いつお迎えが来るかわからん』といいます。

でも、その意味合いは大きく違う気がします。

幸せそうな老婆はの意味は『充分生きて今も幸せだから、いつお迎えがきても大丈夫』

不幸せそうな老婆の意味は『生きているののがこんなに辛いから、生きていることに幸せを感じられない』

なんだか切なくなります。

どんな言葉を選ぶかで歳の重ね方が変わります。

お二人はシワのでき方も違います。

頬の横にできた笑顔のシワと、顔をしかめた眉間のシワ

選ぶ言葉、表情、感謝の言葉を口にするかしないか。それが同じ年齢のお二人をここまで変えてしまう。

もし、今、つらいなら、笑えないなら、それでもいい。ああ、私はいまつらくて苦しいんだなと俯瞰してありのままの自分を認める。

そして、その自分に少しでも寄り添ってくれる人に、『あんたに私の気持ちは分からん』ではなく、

『私の気持ちの本当のところはわかってもらえないかもしれない。でも、気に留めてくれてありがとう。』って感じて生きれたらいいですね。

あなたのままでいいんだよ。

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